わが国における昆虫病原ウイルス利用の過去・現在・未来
農薬ガイドNo.104/C(2003.2.20) - 発行 アリスタ ライフサイエンス株式会社 筆者:国見 裕久
この号のTOPに戻る

 はじめに

 わが国における昆虫病理学は、長い間「蚕病学」を基盤として展開してきたため、その応用研究は、蚕病防除研究に主眼が置かれてきた。このことは欧米における昆虫病理学が昆虫病原微生物の害虫防除への利用研究ともに発展したこととは対照的である。
 わが国における昆虫病原微生物の害虫防除への利用では、日高(1933)がマツカレハの防除にBeauveria bassianaを利用したのが最初の試みである。その後、わが国における微生物防除研究は、昆虫病原糸状菌の利用が中心となったが、1960年代より、林業試験場(現森林総合研究所)の研究者を中心として昆虫病原ウイルスの利用研究が展開され、1974年にマツカレハの細胞質多角体病ウイルスの製剤マツケミンが農薬登録された。第1表に示すように、これまでにわが国においては、昆虫病原ウイルスを利用した防除試験が数多く実施されているが、現在、現場技術として定着しているのは、顆粒病ウイルスを利用したチャハマキ(Homona magnanima)とチャノコカクモンハマキ(Adoxophyes honmai)の防除の事例である。本稿では、顆粒病ウイルスを利用したチャハマキとチャノコカクモンハマキの防除の事例を中心に、わが国における昆虫病原ウイルス利用の将来展望について記述する。

対象害虫
対象作物
散布ウイルス
散布年
散布面積
防除効果(%)
実施県
ヨトウガ
キャベツ
NPV
1962
83~100
東京
コナガ キャベツ
GV
1978
28株
50
東京
モンシロチョウ キャベツ
GV
1968
5a
50
東京
ハスモンヨトウ サトイモ
NPV
1975
20a
82~90
愛知
ハスモンヨトウ ダイズ
NPV
1983
75a
70
愛知
ハスモンヨトウ ダイズ
NPV
1984~1986
42ha
0~99
鹿児島
ハスモンヨトウ ダイズ
NPV
1985
7ha
50~100
愛媛
ハスモンヨトウ ダイズ
NPV
1985
60~66
香川
リンゴコカクモンハマキ リンゴ
GV
1972
120株
78
長野
チャノコカクモンハマキ チャ
GV
1979
50a
67~82
静岡
チャハマキ チャ
GV
1979
50a
50~74
静岡
チャノコカクモンハマキ チャ
GV
1985~1990
750ha
4~100
鹿児島
チャハマキ チャ
GV
1985~1990
63ha
37~77
鹿児島
チャノコカクモンハマキ チャ
GV
1985~1990
685ha
25~100
鹿児島
チャハマキ チャ
GV
1985~1990
63ha
29~71
鹿児島
チャノコカクモンハマキ チャ
GV
1991~1995
7,579ha
82
鹿児島
チャハマキ チャ
GV
1991~1995
7,579ha
81
鹿児島
チャノコカクモンハマキ チャ
GV
2000~2001
5,000ha/年
鹿児島
チャハマキ チャ
GV
2000~2001
5,000ha/年
鹿児島
ドクガ ツツジ・クヌギ
NPV
1969
25a
80~95
岡山
モンシロドクガ クワ
NPV
1971
4a
95
愛知
アメリカシロヒトリ クワ
NPV
1967~1968
83ha
50~90
神奈川
クワゴマダラヒトリ クワ・アカメガシワ
NPV
1982~1994
1,300ha
23~97
東京
ツガカレハ トドマツ
CPV
1976
40a
82
北海道
マツカレハ マツ
CPV
1974~1975
450ha
34~90
石川
マツカレハ マツ
CPV
1975
50ha
56
高知
ハラアカマイマイ モミ
NPV+CPV
1965
64ha
99
東京
NPV:核多角体病ウイルス、GV:顆粒病ウイルス、CPV:細胞質多角体ウイルス

▲第1表 日本におけるウイルス防除の実施例

 チャハマキとチャノコカクモンハマキの顆粒病ウイルス

 顆粒病ウイルス(GV)はBaculoviridae科、Granulovirus属に属するウイルスで、これまでに129種類の鱗翅目昆虫から発見されている。GVは棒状の二本鎖DNAウイルスで、顆粒体(capsule)と称するウイルス包埋体を産生する。顆粒体は卵型の形態をとり、その大きさは0.1~0.3×0.3~0.5μm(短径×長径)で、1個のウイルス粒子が包埋されている(第1図)。一般に、GVは宿主特異性が高く、属を越えた昆虫種には感染しない。


▲第1図 チビカクモンハマキ顆粒病ウイルス顆粒体の超薄切片の電子顕微鏡写真

 チャノコカクモンハマキ顆粒病ウイルス(AdhoGV)とチャハマキ顆粒病ウイルス(HomaGV)は、それぞれ1972年および1975年に病死虫より分離された。チャノコカクモンハマキあるいはチャハマキがGVに感染すると、感染末期に感染虫の体色は黄白色となり、血液は乳白色となる(第2図)。感染幼虫は、健全幼虫と同じように終齢まで発育し、感染後20~25日目に致死する。当研究室での調査によると、AdhoGVは、チャノコカクモンハマキの他にリンゴコカクモンハマキ(Adoxophyes orana)とウスコカクモンハマキ(Adoxophyes dubia)に対して病原性があり、また、HomaGVは、チャハマキと属の異なるチビカクモンハマキ(Archips insulanus)に病原性があることが明らかとなった。


▲第2図 顆粒病ウイルスに感染したチャノコカクモンハマキ

 ウイルスの利用法には、①永続的導入法、②接種的導入法および③大量導入法があるが、AdhoGVとHomaGVは、一時的にウイルスを定着させ、少なくとも害虫1世代以上を制御する方法である接種的導入法により利用されている。接種的導入法では、1回の導入で害虫1世代以上を制御できるため、害虫を殺すまでに時間がかかることは、大量導入法の場合ほど問題ではない。むしろ、ウイルスの再生産による一時的な流行が期待されるため、ある程度伝播率や生残性が高い剤が望まれる。また、生産コストが高いことは、化学合成農薬を複数回施用することを仮定すると相殺され、大量導入法の場合ほど問題とはならない。同様に、適用害虫種が限定されることも、その害虫が主要害虫の場合はそれほど問題とはならないと考えられる。これらのことを考慮すると、AdhoGVとHomaGVは、接種的導入法の理想的な資材であるといえる。

 鹿児島県での成功の理由

 AdhoGVとHomaGVは、これまで静岡県を初め多くの県でその利用が検討されてきた。しかし、前述したように両ウイルスの利用は、現在、鹿児島県に限定されている。鹿児島県においては、従来チャハマキとチャノコカクモンハマキの防除には、有機リン剤が用いられていたが、有機リン剤に対して抵抗性を獲得した系統が出現し、防除が困難になっていた。鹿児島県では、これらの問題を解決するため、1985年より国の補助金を受けGVを利用したハマキガの実用散布試験を開始した。1990年から1992年には、低コスト防除体制整備事業(国庫補助)によりGV増殖施設が県内5ヵ所に設置された。これらの増殖施設では、チャハマキとチャノコカクモンハマキ健全虫が飼育され、AdhoGVとHomaGVのそれぞれを健全虫に接種して得られた罹病死体からGV粗精製液を調整し、製剤化して各農家に配布している(第3図)。


▲第3図 鹿児島県の増殖施設でのGVの増殖風景

 GV散布は年に1回1番茶収穫後に行なわれ、散布時期は、各地の病害虫防除所が予察データを基に決定し、その情報を農家に提供している。1995年のGV散布面積は5,850haで、これは鹿児島県のチャ園の77.2%を占めている。このような実用化の背景として1970年代にリンゴの害虫であるリンゴコカクモンハマキのGVを用いた防除に関する研究が行なわれていたことがあげられる。その後、農水省果樹試験場や静岡県茶業試験場でAdhoGVとHomaGVの実用化に向けて大量増殖法、散布方法、天敵との関係、安全性等の研究が精力的に行なわれ、これらの研究成果が鹿児島県での実用化に結びついている。
 鹿児島県においてハマキガGVを用いた防除が定着した理由としては、いくつかの注目すべき点があげられる。ほとんどの鱗翅目幼虫は、発育齢が進むとウイルスに対する感受性が急速に低下する(成熟免疫という)ため、ウイルス殺虫剤の散布は、極めて短期間に行なう必要がある。鹿児島県では機械化が進んでいたため(第4図)、短時間で簡便にウイルスの散布を完了することができたが、これはハマキガGVの普及に無関係ではないと考えられる。
 また、チャは嗜好品であり、消費者の健康志向も幸いして農家が新しい資材を導入する事に関心が高かったこともあげられる。さらに、鹿児島県では、しっかりしたチャの生産組合が組織化されており、これが、GVの生産などの共同作業を行う母体になったこと、接種的導入法における防除効果を左右する大面積一斉防除が行なわれたことも実用化に貢献していると考えられる。


▲第4図 鹿児島県で使用されている自走式散布機械

 今後の課題

 AdhoGVとHomaGVの利用で最も問題となっているのが、両顆粒病ウイルスが農薬登録されていないことである。昨今の無登録農薬の使用の問題が出てから、農業の現場は非常に神経質になっているが、使用者に罰則規定が盛り込まれているので当然である。今国会で改正された農薬取締法では、人畜および動植物に害を及ぼすおそれのながないことが明らかなものとして農林水産大臣及び環境大臣が指定する農薬(特定農薬)が新たに設定された。特定農薬は、農薬登録の必要がなく、特定農薬に指定された剤は、国が安全性を認定したものとして利用できることになっている。一方、微生物農薬の登録に関しては、農林水産省が平成9年8月に「微生物農薬の登録申請に係る安全性評価に関する試験成績の取扱について」を公表し、登録に必要な安全性試験項目を設定した。特定農薬の指定がどのように推移するか、現在の段階では不明であるが、微生物農薬登録のガイドラインがある以上、AdhoGVとHomaGVについてはこのガイドラインに沿って農薬登録を取得するのが筋であろう。
 農薬登録を取るとなると、とくに重要なことは、AdhoGVとHomaGV製剤の力価を表示することである。欧米で登録されているウイルス殺虫剤の力価は、製剤の含まれるウイルス包埋体数で表示されている。現在、鹿児島県で使用されているAdhoGVとHomaGVの混合剤は、原液にチャハマキGV感染死虫100頭とチャノコカクモンハマキGV感染死虫200頭分の顆粒体が含まれているとされている。感染死虫1頭当りに産生される顆粒体の数は一定ではないので、農薬登録を取得しようとするとこの表示法では好ましくない。
 一般に、ウイルス包埋体数は、血球計算盤など利用して直接計測するが、顆粒体は前述したようにサイズが小さいために、トーマの血球計算盤などでは計測するのが困難である。厚さの極めて薄い血球計算盤(ドイツの会社から販売されていたが、現在は購入できない)を用いれば、暗視野観察により顆粒体を直接計測することが可能である。当研究室では、電子顕微鏡を用いて顆粒体の濃度を決定しているが、光学顕微鏡観察と比べて、若干観察手順が複雑である。また、顆粒体タンパク質に対する抗体を利用した顆粒体の数量化も提案されている(Fuxa and Kunimi, 1997)が、生物検定法と比べて感度が落ちる。いずれの場合においても、顆粒体数が決定できたとしても、最終的には生物検定により各ロットの生物的力価を明らかにすることが必要であろう。AdhoGVとHomaGVを上市するためには、さらなる効率的なGV大量増殖技術を確立するともに、保存性が高く、安定的な効果が得られる製剤化法の開発が必要であろう。わが国においても、ウイルス農薬が一日も早く登録されることを期待したい。
(東京農工大農学部)

Fuxa, J.R. and Kunimi, Y. (1997) Microorganisms interacting with insects. In: Manual of Environmental Microbiology, ASM Press, Washington, D.C., pp.509-519.

▲このページのTOPへ


この号のTOPに戻る

Arysta LifeScience Corporation