日本で作られた新しい殺虫剤の話 -NACRAについて(3)-
農薬ガイドNo.104/F(2003.2.20) - 発行 アリスタ ライフサイエンス株式会社 筆者:下松 明雄
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(前号より続く)

 この号では各社のNACRAの研究および開発について話をすすめることになるが、その前にその1、その2で述べたシェル社と日本特殊農薬製造㈱(NTN)の出願年別と日本特許の出願件数を比較してみた。その図を下記に示す。

▲第1図 シェルとNTNによるNACRAの年次別特許出願数

 この図から特許の出願数は1972年に始まりシェルで5年、1984年からのNTNは3年でピークに達している。ピークから3年後にまた増加しているのは両社とも似ているが、NTNではその年、1989年に出願した特許は極めて重要なものが多い。成功を収めるには忍耐と継続が必要との教訓になるような話である。シェルは1980年で完全にこの探索研究プロジェクトを中止している。1985年に公開になったNTNの特許に気付いていても一度止めると簡単に研究を再開できないことが判る。シェルの1983年の特許はほとんどがニチアジンの製剤の安定性や混合組成物および用途に関するものであり、製品化にも多くの研究が必要となる。
 シェルのニチアジン(SK-71)は日本では1979年から水稲害虫を対象に圃場試験が続けられていたが、海外でも種々の作物で検討されていたと思われる。おそらくその評価はあまり高くなかったと推察される。そのためか、NTNは5~6年の歳月を独占状態でこの探索研究に従事できたが、前号で述べたように1987年から各社との特許出願競争にはいることとなる。

8.各社の研究と特許出願競争

(1)ニテンピラム(ベストガード、TI-304)

 1987年に特許を出願した会社はチバ・ガイギー(CG)と武田薬品であった。CGは胃潰瘍の治療薬、ヒスタミンH2拮抗剤の研究でそれまでに多数の化合物を合成していた。CGは1985年からこの分野の殺虫剤の研究を始めたと報告している。1985年に公開されたNTNの殺虫剤の特許をみていくつかの化合物で殺虫試験を行ない、その結果を知って驚愕したことが彼らの特許明細書から想像される。以後CGは精力的にNACRAの探索研究を開始し、数多くの特許を出願している。
 武田はヒスタミンH2拮抗薬としてシメチヂン、ラニチヂンなどの類縁化合物の中から殺虫活性のある新化合物を見出したと特許に書いている。最初の特許でクロルニコチニル(ベストガードで使われている)、クロルチアゾール(ダントツで使われている)基を明細書に記載しているので、1987年8月までに公開されたNTNの特許を詳しく調べ効率的な研究と特許出願を試みたものと思われる。
 両社は医薬の企業でもあり、1984年に公開された下記の低血圧症剤に関するバイエルの特許を知っている可能性は高い。その特許の用途はベストガードと関係ないが、発明の新規性、進歩性にかかわる先行技術として下記に示した。バイエルはこの特許化合物の殺虫試験を行なっていない。


Bayer AG;低血圧症剤
特公開 昭和59年-65047
出願 1982年 9月1日(西ドイツ)
公開 昭和59年(1984)4月13日

 この特許のあるのをNTNが知ったのは公開になった1984年よりかなり後になってからである。偶然ではあるが、NTNが最初の開発候補剤としたNTN32692の出願日と上記バイエルの公開日が同日であった。それで出願の際に行なう先行技術の調査では知る事ができず他社に遅れる原因になる。
 下記に武田およびCGの特許の一般式(特許請求範囲)と開発化合物の化学構造式を示した。

武田薬品;殺虫剤
特公開 平成2年-171(EP-302384)
出願 昭和62年(1987)8月1日
公開 平成2年(1990)1月5日

Ciba Geigy;殺虫剤
特公開 平成1年-70468(USP-4918086)
出願 1987年8月7日(スイス)
公開 平成1年(1989)3月15日

 上記の通り、CGの特許が9ヵ月早く公開になったが、出願は武田が6日早く、したがって武田が特許権を獲得している。またCGの特許には実施化合物としてTI-304の記載はなかった。1987年に出願されたいくつかのCGの特許を見るとまだ研究の方向が十分掴めておらず、取り敢えず特許権確保を試みていることが覗える。CGがTI-304を選抜できたか否か、また武田が最初にクロルチアゾールを選ばずにクロルニコチニルのTI-304にした理由も興味の湧くところである。TI-304を含む特許をNTNは1988年11月に、シェル・インターナショナル・リサーチも1989年2月に武田、CGの先願があることを公開前なので知らずに出願している。
 本剤は武田が特許の公開後1990年より登録のための圃場効果試験を公的機関に委託しており、1996年に登録される。
 1988年にはこの分野の探索研究を始めた日本曹達から特許の出願がみられ、さらに1989年から石原産業、アグロカネショウ、三菱化成、1990年には三井東圧も加わり特許出願競争はいっそう激しく、また錯綜してくる。

(2)テトラヒドロ・ニトロ・ピリミジン誘導体

 シェル化合物(VII)から誘導され、バイエルが1986年に出願した類縁化合物(BAY T 9992)に合成者は特別魅力を感じているらしいと前号で述べた。バイエルも特許を続けて出願しているが、次のような複数の会社から極めて類似した特許が出願されている。実施例化合物を代表として示したが、これが開発候補剤になったか否かは明らかではない。

 上記の年月日は特許の出願日である。1988年10月26日の武田の出願から1990年3月13日のアグロカネショウまで1年5ヵ月の間に6社からほとんど同じ請求範囲の特許が申請されている。想像ではあるが、それまでのNTNの特許より1987年12月に公開されたバイエルの特許を価値があるとみて各社がバスに乗り遅れまいとした結果であろう。これ以外にその後別の会社、たとえばデュポンからも特許の出願がなされているので、殺虫効力は優れているのかもしれない。過去にはこの誘導体の化合物の開発が進められていたようではあるが、現在公表されている化合物はない。
 シェルの農薬事業は、1986年に米国シェルはデュポンに買収されている。デュポンはニチアジン、殺虫剤としてのNACRAに関心をもったに違いない。しかしながら、デュポンのみならず、この様な特許情況のもとでは新規性、オリジナリティを特に重視する国際的大企業の研究者が新たに研究に参加するには余りに遅すぎたと思われる。

(3)アセタミプリド(モスピラン、NI-25)

 日本曹達では初めはいくつかの開発候補剤が特許で後願になり、そのために開発中止になりながらも、CGより早く開発候補剤(モスピラン)の特許を成立させ、登録に邁進することになる。

特公開 平成4年-154741(WO-914965)
出願 平成1年(1989)10月6日
公開 平成4年(1992)5月27日

 ニトロ・エテン・ジアミン(1a)と同様にニトロ・エテン・モノアミン(2a)でも殺虫活性が高いことは研究初期から認識されていた。

 このNI-25の構造を見てNTNで既に特許出願済みの化合物と思われたが、結果は日曹の出願時にはNTNの特許請求範囲外の新規化合物であることが判明する。1992年より公的機関で圃場試験が開始され、1996年に登録された。

(4)AKD-1022とチアメトキサム(アクタラ、CGA-293、CGA 293’343)

 1970年代にシェルの研究者が検討しなかったトリアジン(3窒素),オキサジアジン(2窒素,1酸素)などの3置換の飽和複素環誘導体についてNTNから最初に特許が出願された。その一般式を示す。

特公開 平成2年-235881(EP 386565)
出願 平成1年(1989)3月9日
公開 平成2年(1990)9月18日

 これの関連特許もその後1年半にわたり下記の会社から出願されている。この特許はNTNにとって後に極めて重要になってくる。

会社
特許番号
出願日
日本曹達
WO-9101978A
1989.07.28
アグロカネショウ
平成3-218370A
1989.11.10
CG
平成4-273863A
1991.06.04

 1)AKD 1022
 前述の会社のなかでAKD 1022の生物評価試験を継続してきたのはアグロカネショウであった。

特公開 平成3年-218370(EP 428941)
出願 平成1年(1989) 11月10日
公開 平成3年(1991) 9月25日

 NTNの特許には実施化合物としてAKD 1022 の開示がなかったが、請求範囲と開示例からNTNの特許に含まれるものであり、先願の特許を無視することはできない。しかし、その圃場での防除効果は優れており、当該社間の交渉で開発上市の可能性はあると思われている。またAKD 1022を酸で分解することにより容易にTI 435を造る特許がアグロカネショウ、CGの2社から出されている。

アグロカネショウ:
特公開 平成3年-291267
出願 平成3年(1990) 4月5日

 AKD 1022はそれ自体で殺虫活性があり、また植物体や土中で分解しTI-435になってさらに殺虫活性を持続すると推察されている。したがって従来のプロドラッグとは異なるユニークな薬剤である。

 2) チアメトキサム
 CGは1987年から活発に合成探索研究を進めてきた。1992年までの特許の出願件数およびその請求範囲から推察すると、数多くの合成化合物の中から先願でかつ特許性があり、また満足できる生物効果のある開発候補剤を見出せなかったようである。これ以上他社の剤より開発が遅れることはこれまでの研究の意義が失われることになる。おそらくその限界で下記のような特許が出願されたものと思われる。CGは1991年にチアメトキサムを合成したと報告している。

特公開 平成6年-183918(EP 580553)
出願 1992年 7月22日(スイス)
公開 平成6年(1994) 7月5日

 一般式のAは一ないし四置換された単環または二環の複素環基を示し、それに該当する64種類の複素環を開示している。この特許は既に公表されたチアメトキサムを含む他社の特許を無視し、あるいは運良くいけば関連するすべての先願特許が成立しないとの前提で出願されたものである。一般には理解し難いが、CGでは長年の経験から生まれた戦略であろう。
 またその特許明細書の記述により、他社がこれから出願する多くの新化合物を既知或いは容易に類推にする意図をもっており、CGならでの特許戦術を駆使したものである。CGはチアメトキサムの開発当初から前に記述したNTNのオキサジアジンを含む特許をUS、EUなどで無効と訴えていたが、2002年に1億2千万US$(145億円)をCGが支払うことでバイエル(NTN)との間で和解が成立している。

(5)クロチアニジン(ダントツ、TI-435)

 グアニジン誘導体のこの剤に関係する最初の特許はNTNから出願された。

特公開 平成2年-288860
出願 昭和63年(1988)11月29日
公開 平成 2年(1990) 11月28日

 同様な一般式で請求範囲もほとんど同じ特許が武田を含め次の会社からも出願されている。この武田の特許はNTNと先後願の関係にあり、優先権や実施化合物例について世界各国で特許論争になると更に煩雑になる。

社名
特許番号
出願日
武田
平3-157308A
EP376279A
1988.12.27
CG
平3-109374A
EP418199A
1989.09.13
アグロカネショウ
平3-200768A
EP425978A
1989.10.19
石原産業
平3-279359A
1990.03.27

 TI-435の武田の開発に関してはNTN(バイエル)と武田の当該者以外は理解しがたいより複雑な経緯がある。特許紛争をはじめるとおそらく各国で特許審査、登録その後の異議申立て、無効審判、裁判と限りなく続く可能性のある問題である。バイエルと武田の共同開発契約は裁判などで生じる莫大な経費と時間を省くための妥協であり、バイエルの殺虫剤ビジネスに関する世界戦略から決定されたものと思われる。日本では1995年より委託試験が始められ、2001年食用作物に登録された。
(アリスタライフサイエンス㈱技術顧問)
(以下次号に続く)

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