天敵農薬(2)

村上 陽三

- アリスタ ライフサイエンス農薬ガイドNo.78/E (1996.1.1) -

 

 

(No.77/Fより続く)

3.クワコナコバチの教訓

わが国での天敵農薬の利用を発展させるためには、クワコナコバチの教訓を生かす必要がある。以下にいくつかの問題点を取り上げてみた。


(1)生産費

クワコナコバチの製品はかなり手のこんだ造りになっていて、製造工程で人の手を大幅に必要としたものと思われる。メーカーが生産費を理由に製造販売を中止したことからも、それがうかがわれる。これに対し、寄生峰オンシツツヤコバチの製品は、オランダのコパート社(エンストリップ)やイギリスの他の会社を見ても、クワコナコバチに比べはるかに安価に作られ、かなりオートメ化した工程で製造されているように見受けられる。企業が営利を目的として天敵を生産販売するためには、生産費の低減化のための工夫と技術改良が不可欠である。


(2)対象作物上の害虫の種類数

アメリカでの天敵農薬成功の事例では、防除の対象となる害虫の種類数が極めて限られており、天敵農薬で防除しようとする害虫以外の害虫は、農薬を使わないで防除可能である。それに比べてクワコナコバチの利用がはかられたリンゴやナシでは、クワコナカイガラムシ以外に防除を必要とする害虫の種類が非常に多く、その大部分が殺虫剤の使用を必要とする。こういう状況下では、他の害虫を防除するための殺虫剤使用が、放飼された天敵の効果を著しく低下させるのは必然である。特にクワコナカイガラヤドリバチは増殖能力が高く、放飼寄生峰の次世代以降の効果に期待が持たれていただけに、放飼前後の短期間だけ殺虫剤の使用を差控えるということでは、この天敵の特徴を生かすことにならない。


(3)天敵種の選択

どんな場合に、どういう生態的特徴を持った天敵を利用すべきかという問題は、永続的利用だけでなく、周期的放飼の場合にも十分考慮されねばならない。クワコナカイガラヤドリバチは増殖能力は高いが、1匹の雌蜂が殺すコナカイガラムシの個体数はそんなに多くない。雌1匹の産卵能力は平均120卵程度であるが、1匹のコナカイガラムシに平均10匹ほどの幼虫が寄生する多寄生性の寄生峰のため、1匹の雌蜂が攻撃できる寄生数はせいぜい十数匹ほどである。他方クワコナカイガラムシを攻撃する寄生蜂ルリコナカイガラヤドリバチは、1匹の雌が200卵以上産み、しかも1匹の奇主に1卵しか産まない単寄生性の種のため、1雌当りの攻撃寄主数は、クワコナカイガラヤドリバチの数培になると予想される。他の害虫種が多いため殺虫剤の使用が避けられないリンゴ園やナシ園で市追うする天敵農薬としては、次世代以降の効果に期待する接種的放飼よりも、放飼寄生峰の1雌当り攻撃寄主数が多い天敵の大量放飼の方が、天敵農薬としては敵していたのかもしれない。


(4)天敵の輸送

クワコナコバチが登場した当時は、今日のようにクール宅急便などはなく、まして外国からの空輸など思いもよらなかった。天敵のメーカーは、低温輸送の手段を独自に持つか、天敵を使用する現地に天敵工場を建設するしか考えられなかった。クワコナコバチの場合は後者の方法をとろうとしたが、生産費にさらに設備投資の費用も加わることになり、これも製造販売中止の一つの理由になったようである。


(5)開放的な環境での放飼

果樹園や水田のような開放的環境で天敵農業を利用する場合は、カリフォルニアのカンキツ園(一人のオーナーが広大な面積の圃場を経営する)でない限り、ある地域の全農家が天敵を購入して各自の園で使用することについての合意が形成されなければならない。そうでない場合、「買わない農家がトクをする」という事態を招きかねない。閉鎖的環境のハウスイチゴやハウストマトでの使用を前提賭するスパイデックスやエンストリップでは、このような問題は生じないであろう。

中国広東省で利用されているタマゴコバチの人工奇主卵

4.今後の課題

(1)低コストの国産品

天敵の通常の飼育方法としては、まず寄生または餌となる動物の飼育から始まる。そのために人工飼料が利用できれば理想的であるが、多くの場合は代替の寄主植物が用いられる。こうして増殖した寄主昆虫または餌動物を使い、可能な工程はオートメ化して、天敵の工場生産が行なわれている。

最も理想的な方法は、人工寄主や人工餌で直接天敵を大量生産することである。捕食性天敵の人工餌は、今後の研究次第で多くのもので利用が可能となるであろうが、寄生性天敵の人工寄主となると、可能性はいっそう限られる。中国広東省では、メイガの卵寄生峰とカメムシの卵寄生峰で人工寄主卵の開発研究が行なわれており、一部実用化さえしている。

1990年に私が訪れた広東省農業科学院植物保護研究所では、サトウキビを加害する3種のメイガを防除する目的で、ポリエチレン製のシートを用いた人工寄主卵で生産したズイムシキイロタマゴバチを利用している。その人工寄主卵を製造する機械は、何度かの改良を重ね、卵寄生峰の生産費の低コスト化がはかられている。当時のレートで換算すると、1回の放飼につき10a当り35円程度で農家に販売されている。

もともとこの人工寄主卵の技術は、広東省昆虫研究所で開発されたもので、レイシを加害するカメムシの卵寄生峰(ナガコバチ科)の人工寄主卵も当時完成していた。

このような低コストの生産技術を持たない現状では、外国から輸入した天敵農薬を使わざるを得ないが、わが国のハイテク技術をもってすれば、オランダや中国なみの低コストでの天敵生産は、将来可能であるし、またその勢力をすべきであろうと考える。

人工奇主卵の製臓器(中国広東省農業科学院植物保護研究所)

(2)導入天敵の生態系への影響

近年、導入天敵が生態系に悪影響を与える可能性について、国の内外で注目を集めている。従来、天敵の利用は環境に悪影響を与えないと一般に信じられてきた。しかし天敵の導入により、防除の対象となる有害生物以外の生物が絶滅または著しく減少した事例が知られるようになった。第3表にそのうちのいくつかを示した。このことから、生態系への悪影響のリスクを最小限にするよう、天敵導入にあたって慎重な配慮が強調されるようになった。

対象害虫

導入天敵

導入地

絶滅(または減少)した生物

ココヤシマダラガ

ヤドリバエの一種

フィジー

マダラガの一種(絶滅)

アフリカマイマイ

捕食性陸貝の一種

ハワイ

複数種の陸貝

ミナミアオカメムシ

ヤドリバエの一種、タマゴクロバチの一種

ハワイ

カメムシの一種(減少)

アナウサギ

ウイルスの一種

イギリス

シジミチョウの一種(絶滅)

数種のカ

カダヤシその他の魚類

ハワイ

カワトンボの一種(絶滅)

第3表 天敵導入によって対象外生物が絶滅または減少した事例(ハワース、1991より)

スパイデックスとエンストリップが農薬として登録される過程でも、このことが問題になったようであり、結果的にはそのことも考慮した上で登録が認可されたと聞いている。今後の天敵農薬登録の際にもこの問題が再浮上すると考えられるので、ここで私の考えを述べておきたい。

最初に強調しておきたいことは、生態系に及ぼす導入天敵の影響を過大に考え、天敵導入による利益を軽視すべきではないということである。われわれの周囲で起こっている環境破壊や生物種の絶滅のほとんどは、天敵導入によるものではなく、生物の生息場所を悪化させたり無くしたことから生じている。天敵の利用は、基本的にはそれらの誤った人間の行為とは反対の立場に立っている。

第二に、天敵の導入による対象外生物の絶滅は、天敵農薬の利用においてではなく、天敵の永続的利用の中で、極めて稀に生じている現象であり、主として大洋島のように生物相が単純な環境で、多食性の(寄主範囲の広い)天敵を導入した場合に稀に生じているということである。チリカブリダニやオンシツツヤコバチは、もともと定着を目的に放飼してはいないが、それらが日本国内のどの地域でも野外で越冬定着しないという保証は決してない。しかしこれらの天敵はスペシャリストであり、極く限られた範囲の生物を捕食または寄生するので、対象外生物を絶滅させる危険性は極めて少ない。

しかしそれにもかかわらず、天敵導入にあたっては、十分な導入前の研究によりリスクを最小限にする努力がなされねばならない。自然生態系への悪影響がない場合でも導入天敵がその近縁種の土着天敵の密度を著しく減少させ、その土着天敵が導入天敵よりも効果的である場合には、生物的防除の効果を低下させる可能性もある。

レイシを加害するカメムシの卵寄生蜂飼育のための人工奇主卵

むすび

天敵農薬は決して万能ではないが、施設園芸では有望な害虫防除の一方法である。しかし、事前の十分な調査研究を抜きにした行き当たりばったりの無計画な天敵導入は、成功の可能性が低いばかりでなく、マイナスの可能性が低いばかりでなく、マイナスの効果をもたらす危険性すらある。したがって天敵導入は、積極的かつ慎重に行なわれねばならない。

(九州大学農学部)

人工奇主卵の開発の中心となっている広東省昆虫研究所
広東省昆虫研究所の李麗英所長(右)と筆者