捕食者(天敵)と被食者(害虫)

―それらの相互の関係―

高橋 史樹

- アリスタ ライフサイエンス農薬ガイドNo.83/D (1997.4.1) -

 

 あらゆる生きものは生きもの、あるいはそれに由来するものを餌にしなければ生きてはいけない。天敵と害虫との関係も、害虫と作物の関係も、同じように食物連鎖の食うものと食われるものとの関係にある(第1図)。これにはいろいろな型の相互関係があり、本稿では、その中で天敵農薬について考えてみることにする。

第1図 食物連鎖
 

天敵には役立たずのものもある

 私は以前、寄生蜂を使って害虫と天敵の個体数変動の基礎的な研究をしていた。寄生蜂と宿主との関係は食う・食われるの搾取の関係であるが、寄生蜂の中には、シマメイガコマユバチとスジマダラメイガの組み合わせのように、宿主を見つけ次第やっつけるような、われわれにとってはうれしい性質のものもある。しかし、そのあと餌が見つからずに、寄生蜂の子や孫世代は飢え死んでしまうから“馬鹿な”弱肉強食の関係といえる。
 しかし、コクガヤドリチビアメバチとスジマダラメイガの組み合わせでは、両者が互いに持ちつ持たれつの個体群のレベルでの共存関係にあり、このような関係が自然界に沢山あることがわかった。この“賢い”天敵は害虫をかなり高い密度に保つことから、天敵で害虫を防除しようという目的で、寄生蜂と宿主の関係を研究していた私にとってはショックな現象であった。
 過剰な農薬使用の弊害を告発し、USAの上院を動かしたR.カーソンは、彼女の著書「沈黙の春」で天敵の使用を強く勧めている。しかし、彼女が言うほど天敵は甘くはなく、天敵なら何でも良いということではない。天敵には役に立たないものがあるという認識は彼女にはなかったようである。
 古典的な生物的防除法の場合は、一度放飼すればあとは天敵が自分で増殖し、害虫を餌にして個体群を維持していくことを期待している。しかし、餌の種類が害虫に限られていると、害虫がいなくなれば、天敵も絶えてしまうという自己矛盾の構造がある。そのために天敵には害虫を徹底的にやっつけないという性質が発達(進化)していく。それは天敵にとっては“賢い”選択といってもよいであろう。実際に天敵を導入して年数が経ると害虫防除効果が低下した例も沢山ある。しかし、田畑でそのようなことになるのは、われわれにとっては困りものである。
 われわれは天敵が害虫を全部やっつけてくれることを生物的防除に期待している。それで、天敵農薬には“馬鹿な”天敵が使われることが多いようである。オンシツツヤコバチもチリカブリダニもBT剤も同様である。だから、彼らに効果を発揮させるためには、“馬鹿と鋏は使いよう”というように、われわれは彼らの性質をよく知って、うまく使わねばならない。

スジマダラメイガに寄生するシマメイガコマユバチ
(左:幼虫への産卵、右:幼虫)
 

コクガヤドリチビアメバチ
 

馬鹿な天敵でも餌を絶やさない機構がある

 馬鹿な天敵でも餌の生きものを絶やしてしまわないような、いろいろな自然な機構がある。その中で、

  1. 生息地への侵入の時間差
  2. 害虫以外の代わりの餌
  3. 発育に適した気温の差

 などを考えてみよう。

(1)天敵と害虫の侵入の時間差

 生きものの生活場所は普通は不連続なパッチ状の分布をしていると言える。ある生息場所にいろいろな生きものが侵入するとき、餌になる生きものが先に入いていないと、それを食べる生きものは生活できない。田畑では先に作物が侵入し(植え付けられ)、それを食べる害虫が遅れて侵入する。そのあとで、さらに天敵が侵入することで、それぞれの生きものが生活できる。その侵入の時間差と密度差がそれぞれの繁栄をきめる。
 作物と害虫の侵入時期の間隔が長いほど、作物はより長い期間にわたって安全に生育できるが、短いと害虫によって被害が大きくなる。それで、応用的には害虫の田畑への侵入源をなくしたり、隔離したりす
努力がこれまで行なわれてきた。しかし、これは天敵の侵入を妨げることになる。
 同じように害虫と天敵の侵入間隔が長いほど(第2図のB→C)、害虫は長い期間にわたって繁殖できるので、作物への加害量が大きくなる。また、寄生蜂は賢くなるために、宿主よりも移動分散能力を低くしていくような適応進化もみられる。しかし、間隔が短いと害虫は天敵に早期に抑えられて、作物の被害は少なくなるという関係がある。
 応用的には害虫と天敵の間隔が短いほど良いのであるが、慣行農業の田畑ではこの関係を保つための配慮がほとんどなされていない。田畑に天敵が外から早く、沢山に侵入するには、天敵の生息場所が田畑の中や近くになければならないが、農薬で天敵が少なくなっているだけでなく、農業構造改善事業などで一枚の農地が大きくなり、あぜ道がコンクリートで固められたりして、天敵が棲める場所が田畑から遠ざけられている。だから、どうしても天敵の侵入が遅れて、害虫が安全に増殖できる期間は長くなってしまう。
 園芸ハウスなどの施設では、普通ならば栽培できない寒冷な季節に、加温・保温して作物を栽培しているから、外部からの害虫の侵入が無い限り、安全に栽培することができる。しかし内部に害虫が潜んでいるならば、冬でも天敵が少ないままで害虫が発生することにであろう。この欠点を補って多数の天敵を人為的に導入するのが天敵農薬と言える(第2図のD)。

第2図 捕食者(天敵)と被食者(害虫)が新しい生息地へ侵入するときの
時間差と密度差によって生ずる個体数変動の違いを示す模式図
(高橋、1983)

α(実線):害虫の侵入と、その後の個体数の変動
β(破線):天敵の侵入と、その後の個体数の変動
EIL(細線):被害が許容できる害虫発生密度   
 

(2)天敵が害虫以外の代替の餌を持つとき

 天敵が待ちかまえる形のとき(第2図のE)、害虫と天敵の侵入間隔が一番短いのであるが、天敵にはその間の生活に必要な餌がなければならない。寄生性の天敵には宿主を害虫種に限っているような単食性のものが多いから、これらは害虫より遅れて外から侵入せざるをえない。しかし、広い食性の天敵ならば、害虫以外の生きものを餌にできるという性質があることから、先にいて待ち受けることもできる。自然界にいる悪玉の害虫や善玉の益虫は種類数でいえばごく少数で、沢山にいる“ただの虫”が広食性天敵の餌になっている。
 しかし、農薬や化学肥料の施用でこれらのただの虫が田畑から少なくなっている。だから天敵が田畑の外から再侵入するのを待つか、人為的に導入しなければならない。化学農薬を使わないで天敵農薬を使うことは、これらの生きものを保全するのに役立つが、すべての害虫をカバーできていない。また、ある天敵を働かせるためには使えない化学農薬があり、そのために発生する病害虫もありえる。
 野草や雑草もただの虫の生息環境であり、その花の蜜は天敵の餌になることもある。土壌中の微生物や土壌動物でも善玉のものが悪玉を抑え、また天敵の餌にもなっている。悪玉と考えられている生きものでも有用な働きをしていることがあるが、これらのことはあまり判っていない。であるから化学農薬との使い分けも大きい検討課題といえる。

生け垣に囲まれたイギリスの農村風景

生け垣は害虫の潜伏場所や発生源ともいえるが、
天敵の補給源でもある。生け垣を取り除いたとこ
ろ果樹園に害虫が増加した例もある。     
 

動物名 発育期 発育0点(℃) 文献
(害虫)      
オンシツコナジラミ 卵~3齢幼虫 Weber(1931)
  4齢幼虫 <8   〃
  全期間 8.3 Osborne(1982)
  7.0~11.5 Madueke & Coaker(1984)
(天敵)      
オンシツツヤコバチ 全期間 10.5 Roermund & Lentern(1992)
  12.7 Osborne(1982)
  13.0 Madueke & Coaker(1992)
(害虫)      
ナミハダニ(黄緑型) 10.0 内田(1982)
     (赤色型) 9.91 伊東(1974)
カンザワハダニ 8.7 刑部(1959)
ミカンハダニ 8.01 福田・新梶(1954)
リンゴハダニ 9.03 Mori(1957)
ハダニ類一般 7~11 後藤・高藤(1996)
(天敵)      
チリカブリダニ 11.64 浜村・真梶・芦原(1976)
  幼生 11.72   〃
  卵~幼生 11.60   〃

オンシツコナジラミ
 

(3)発育に適した温度の差

 一般に植物の発育限界低温度は、直物分布の説明に用いられる「暖かさの指数」でもみられるように5℃前後である。しかし、植物を餌にする昆虫では発育0点(発育限界温度)は10℃前後であるため、春先や秋の冷涼な季節の間に植物が生長を進め、温暖な季節に害虫が食害しても、植物が生き延びているように思える。
 同じ様な関係は、天敵(捕食者または寄生者)と害虫(被食者または宿主)との関係でもみられる。発育0点を比較してみると(第1表)、宿主のオンシツコナジラミ(8℃前後)より寄生蜂のオンシツツヤコバチ(10℃以上)の方が高くなっている。また、ナミハダニやカンザワハダニなどのハダニ類の卵ではほぼ7~11℃以上と高くなっている。このように1年間の活動季節は被食者や宿主の方が長くなっていて、春と秋には餌の生きものに有利になっていて、食い尽くされないようになっていることが多いようである。
 園芸ハウスでは外界の気温の低いときに加温・保温して作物を栽培している。それで天敵が活動できないような低い気温のときには、より低温に適した害虫が増えてしまう。また、天敵を放飼しても害虫の増加に追いつかない程度の個体数では、害虫は天敵の働きから逃れて、エスケープしてしまう。(第2図参照)。

あとがき

 実験室と違って、実際の農地や施設内の環境は地理的条件や生物的条件が多様で、教科書通りにはことが運ばないことが普通である。どんな天敵を、いつ、どこに、どれだけ放飼するかについての現場での検討が大切である。そして、田畑に普通にみられる“ただの生きもの”によって、天敵をうまく働かせる方法の研究も、まだまだ必要と思われる。

(広島大学名誉教授、(現)大阪商業大学)