オンシツツヤコバチの仲間たち(2)

梶田 泰司

- アリスタ ライフサイエンス農薬ガイドNo.85/E (1997.10.1) -


 種名のわからない昆虫を取材にした生態の研究はその内容がよほど普遍的でない限り問題にされない。そのため、1975年にオンシツコナジラミの寄生蜂がわが国に生息することが確認されて以来、幾人かの内外の研究者にオンシツツヤコバチの近縁者の同定を依頼してきたが、すべての種の学名が判名したのは1992年のことであった。その間、独立した属になっていたProspaltella属とEncarsia属はEncarsiaに統一された。ここでは同定にまつわる今日までの経過を採集人の立場から振り返ってみたい。

1.最初にわかった種名

 同定の依頼は1975年にまず国内の研究者から始めた。しかし、オンシツコナジラミの在来種寄生蜂のいずれもProspaltella(=Encarsia)属の1種としかわからなかった。そして、外国の研究者として当時USDAにいたGordhに標本を送った。長い間連絡がなかったが、カリフォルニア大学に移ってから、学生に標本を見せても良いかといってきた。結局、種名はわからず、ユーラシア大陸の研究者が適任だと断られた。標本のなかにはTimberlakeがハワイの標本をもとにして記載したEncarsia transvenaが含まれていたが、アメリカ大陸の研究者には関心がなかったようだ。
 その頃、アジアとヨーロッパで名の知られた分類学者には、インドのHayat、旧ソ連のYasnosh、イタリアのViggianiがいた。Hayatは在来種を詳しく調べたが、学名の決定まで深入りしなかった。Yasnoshは同定依頼の手紙に返事がないので、受け取っているか否かをたずねると、標本を直ぐ送るように書いてきた。そして、彼女の同定で、1980年にわが国にProspaltella(=Encarsia) luteaが生息することが明らかになった。本蜂は興味ある種で雄はガの卵に寄生して成長するといわれるが、寄生率が低く、わが国における生態はよくわかっていない。


▲オンシツツヤコバチ雌(左)と雄(右)


▲Encarsia transvena 雌(左)と雄(右)

 

2.新種の発見

 わが国のオンシツツヤコバチの仲間たちにとって、1981年は記念すべき年であった。イタリアのViggianiに送った標本のうち1種がEncarsia japonicaという名前で新種として記載された。これは、オンシツコナジラミが福岡県で初めて発生した温室で地面をおおっていたカタバミ上のカタバミコナジラミに本来寄生していたものがガーベラなどのオンシツコナジラミに寄生したものである。腹部はトラのような紋様になっていて、肉眼で同定可能だ。わが国では九州から東北まで広く分布するが、外国からの記録はまだない。Viggianiの命名はさすがである。

 

3.沈黙の10年

 少し年配の人なら誰でも石井悌博士の名前を知っているだろう。博士は1924年に長崎に立寄ったイタリアのSilvestriにミカントゲコナジラミの天敵導入を依頼され、その生物的防除がシルベストリコバチEncarsia smithiの活躍により成功したことは有名だが、トビコバチ科やツヤコバチ科のような小さなハチの分類でも大きな業績を残している。コナジラミ類の寄生蜂では、1938年に2種の新種を記載しており、そのうちの1種はミカンコナジラミの寄生蜂Prospaltella(=Encarsia)citriであり、もう1種はヤマモモコナジラミの寄生蜂Prospaltella(=Encarsia)bemisialである。これまでに学名の判明したluteaやjaponicaと異なり、上記の2種は体の全体が黄色で、これといった特徴がなく、区別し難い。しかし、わが国のオンシツコナジラミの寄生蜂の普通種2種のうちの1種がjapanicaであることが明らかになった以上、残りの普通種は黄色であることから、石井博士の記載された2種のうちの1種である可能性が大きい。それを確認するには博士の用いたタイプ標本を見ることが必要であるが、標本はどこにあるかわからないという噂が流れた。そんなある日、石井博士の標本をみたという研究者が現われた。イギリスにあるInternational Institute of Entomology (IIE)の Polaszekである。

第1表 わが国のオンシツコナジラミ、シルバーリーフコナジラミおよびタバココナジラミから羽化したEncarsia属寄生蜂
  1. Encarsia adrianae Lopez-Avile
  2. Encarsia formosa Gahan
    オンシツツヤコバチ
  3. Encarsia japonica Viggiani
  4. Encarsia lutea (Masi)
  5. Encarsia strenua (Silverstri)
  6. Encarsia transvena (Timerlake)

 

4.Polaszekの貢献

 近年わが国に侵入した重要なコナジラミはオンシツコナジラミとシルバーリーフコナジラミであるが、後者は前者ほど重要視されなかった。すでに早くからオンシツコナジラミの定着していた欧米のシルバーリーフコナジラミへの意気込みはわが国と違い、多くのすぐれた研究が報告されている。そのなかの一つが1992年にPolaszekとアメリカのEvansとBennettの共著で発表された、タバココナジラミのEncarsia属寄生蜂の同定に関する研究である。
 Polaszekとの交流は東南アジアのコナジラミ類の分類同定を大英博物館のMartinに依頼したことが縁となって始まったが、1990年から2年間にわたり、研究の進行状況を刻々と連絡してきた。資料のなかには、1991年に松井正春博士が沖縄で採集した熱帯生息性のEncarsia adrianalも直ちに途中で加えられた。 特に注目されたことはPolaszekが最期まで石井博士の記載された2種に関心を持ち続けたことであった。研究がまとまり、別刷が送られてきた時、これまで学名のわからなかった種も含めて全ての種が同定できるように書かれているか、封筒を開けるのが不安であったが、タバココナジラミとシルバーリーフコナジラミについてはすべての寄生蜂が載っていて安心したものである。石井博士のcitriはstrenua,bemisialはtransvenaになっていて、両種は単眼間の紋様で容易に分けることが出来るようになっていた。黄色の普通種はにらんだ通り、transvenaだった。最初に在来種の同定を研究者に依頼してから数えて17年が経過していた。

▲Encarsia japonica 雌 ▲Encarsia lutea の黒色の第3産卵弁片


▲コナジラミの天敵を研究する仲間
(最後列右端がPolaszek)

5.未記載種

 わが国のいろいろな場所で採集したEncarsia属の寄生蜂をPolaszekらの検索表に従って分けている間に、1983年7月に岩手県柴波町橋本農場研究所のオンシツコナジラミから得た寄生蜂が記載にないことに気づいた。当時の採集記録には、腹部の一部が暗褐色であり、趺節は5節から成り、また産雄単為生殖を行なうため、オンシツツヤコバチではないと記されている。実験に使って傷ついた個体ばかりをPolaszekに送ったところ、分類学的に重要な特徴を持った新種らしいので、完全標本が欲しいという手紙が直ぐに返ってきた。それから盛岡へ3回採集に行った。黄色コスモスの育ての親として有名な橋本所長が沖縄で育種を行なったことをきき出し、沖縄へも2回飛んだが、その種は採集できなかった。研究所へは珍しい植物がいろいろな場所から運ばれてくるので、外来種なら、探しようがない。全国でここでしか採集されていないのはそのためかも知れない。一方、もし在来種とすれば、オンシツコナジラミやシルバーリーフコナジラミのように主として野菜類に発生するコナジラミ類の寄生蜂ではないことも考えられる。そのため、最近では寄主を木本類に発生するコナジラミ類にまで広げてその寄生蜂を探しているが、それでもまだ採集できないでいる。

(山口大学 農学部)