天敵カルテ構想についてのコメント

矢野 栄二

- アリスタ ライフサイエンス農薬ガイドNo.95/D (2000.4.1) -

 


 


 

 最近天敵利用の普及を図ることをねらいとして、天敵カルテ構想なるものが浮上している。簡単にいうと、天敵の放飼試験の事例をデータベース化してインターネット上で公開し、簡単に利用できるようにして、天敵を利用する人に放飼方法の有効なアドバイスを提供しようとするものである。現在この構想の核となるデータベースやホームページの構築が中国農業試験場と農業研究センターを中心に進められている。筆者もこの構想の旗振り役である企画幹事会のメンバーの一人であるが、ここでは敢えて第三者的立場からコメントしてみたい。天敵カルテの詳しい内容については田中(1999)があるので、ここでは割愛する。

1.情報管理システムの必要性について

 天敵カルテの概要については第1図に示した。天敵利用やIPMの普及についての、情報管理システムの重要性はいうまでもない。一つの効用は天敵カルテシステムがねらいとしている情報の共有化である。これがないと、あるところで行なった試験と同じ試験をまた別のところで繰り返し、同じ失敗を犯すようなことがよく起こる。試験データの情報を共有していればこのような失敗は減少する。田中(1999)の指摘するようにわが国のように天敵利用の効果に種々の要因が関係して、効果が不安定となっている状況では、自分がやろうとしている試験と同じような条件の事例があれば非常に役立つであろう。ただそのためには多くの事例から自ら適切なメニューを選び出す必要性がある。これは日本人の国民性に向いた方式であるとは思えない。画一的なメニューが無理ということなので、エキスパートシステムのように機械的に何段階かの選択肢から選んでいけば目的とするメニューに到達するようにした方がよいのではないだろうか。正直に言って、これでもまだ面倒だから使わないということになるかもしれない。それから事例の蓄積が十分でないと参考となる事例が見つからないかもしれないことも心配である。


第1図 天敵カルテ概要

 もう一つの情報管理の効用は関連する新情報の入力と利用であろう。たとえば新たな天敵利用技術、侵入害虫、天敵利用と併用できる新防除技術などに関する情報である。これらについては、放飼試験情報以外の形の情報提供が必要であるが、天敵カルテ構想でどのように扱うかは明確ではない。天敵利用に関連するニュースレター(バイオコントロール等)がいくつかあるのでそれを参考にすればよいのかもしれないが、ホームページで公開してもよいのではないかと思われる。それからこのような情報管理システムを通じて、現場と研究の連携を深めることが重要であろう。研究で開発された新技術は現場ですぐ使われてこそ意味を持つし、改良もできる。一方技術開発に携わる研究者は現場のニーズを認識した上で研究に当たるべきである。天敵カルテ構想における天敵IPMメーリングリストはある程度このような役割を担ってほしいものである。

2.現場に役立つためには

 筆者のように現場から一歩離れた立場の研究者が言うのも変かもしれないが、天敵カルテは多くの研究者が英知を結集して進めているだけに、是非とも現場における天敵利用の推進の大きな力となり、新しい情報を常に取り込んで進化するようなシステムになってほしいものである。

 筆者は以前から、天敵利用を普及させるためには、天敵と対象害虫の組み合わせだけに注目していては限界があることを指摘してきた。天敵を利用すると当然農薬の利用が制限されるだけではなく、外部からの害虫の侵入を防ぐため換気口を寒冷紗で遮蔽したり、天敵の活動性を発揮させるため夜間の温度を上げたり、休眠を抑えるため人工照明をしたりすることがある。このような作業は他の病害虫の防除や作物の栽培にかなり影響する。特に天敵で防除できない他の害虫の防除手段を提供しないと天敵利用は受け入れられない。農薬散布の場合は他の栽培慣行に影響しない個別技術として受け入れられ易いが、天敵はこのように様々の他の技術に影響するため、体系化した技術の中に組み込まなければならないのである。このような体系化は作物別、作型別に作成しなければならない。それから地域性の問題がある。地域により栽培品種、栽培管理条件、気象条件、土着天敵相などが異なっており、他県でうまくいった方法がそのまま当てはめられるものではない。土着天敵相などは、同じ地域でも圃場の周辺の植生が違うと大きく異なっている可能性が高い。結局このような体系技術は作物別に、さらに地域性を考慮して少なくとも県別に作成する必要があるのではないであろうか。

 天敵カルテは、基本的には天敵の種類および作物別に天敵利用の個別技術情報を提供しようとするものである。個別のデータとなるカルテシートの項目は作物(品種)、天敵名称、栽培概要、資材処理、評価、結果内容、考察・備考等、添付資料から成っている(田中、1999)。

このままの情報では現場でそのまま役に立つかといえば無理があるかもしれない。実際には天敵利用を担当する県の研究者が天敵カルテを参考に体系防除を作成する必要が出てくるように思われる。どこかの県で他県に先駆けて作物別の体系防除のシステムを示せばかなり参考になるであろう。

3.おわりに

 天敵カルテ構想は、天敵普及の推進のため、天敵ノウハウ情報の蓄積・共有化というねらいは妥当なものであるが、現時点では上に述べたように、情報としての提供の仕方にまだまだ工夫の余地がある。天敵カルテは、いかに現場で利用され浸透していくか、に成否が掛かっている。天敵カルテは全ての人に公開され、システム、データ、利用ソフトウェアの提案、追加、改変が自由に行なえるので、多くの人々の参加によりこれらの問題点が解決されれば非常に嬉しい。天敵カルテは色々な意味で画期的なシステムであることは間違いなく、今後の発展に期待したい。

(農林水産省農業環境技術研究所)

参考文献
田中寛(1999)天敵の普及にあたっての問題点とその対策(天敵カルテ構想 農耕と園芸53
(8):108-111.