日本で創られた新しい殺虫剤の話-NACRAについて-その2
農薬ガイドNo.103/E(2002.11.25) - 発行 アリスタ ライフサイエンス株式会社 筆者:下松 明雄
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(前号より続く)

5.日本特殊農薬製造(株)の探索研究
-エンジン全開(1984)からブレーキ制動(1989)まで

 前号では日本バイエル社(NBA)と記述したが、以後は研究当時の社名、日本特殊農薬製造株式会社(NTN)として話をすすめることにしたい。
 最初に見出された活性化合物NTN- 32692は当時使用されていたウンカ、ヨコバイ防除剤の効力水準をはるかに超えたものであった。選択性殺虫剤として即ち殺虫活性が高くなっても哺乳動物や魚に対する毒性が強くなることはなく、環境に対して影響の少ない極めて有望な新規剤であった。しかし、これで目標を達成したとはNTNの探索研究者は思わなかった。 特に6-クロロニコチニル基が最適な活性増強基であるか否かを確かめることは重要なポイントである。そこで今後の研究方針としてまずはニコチニル(ピリジニルメチル)基について塩素以外の置換基を検討すること、ニコチニル以外のヘテロ環化合物について殺虫活性を比較検討することになった。
 下記のような考え方に基づいて、活性基部位も含め3部分の検討が始められた。活性基についてシェル社の研究を参考にした。


▲(最近のドラッグ・デザインでは活性基をPharmacophoreまたはToxicophore,接続基をLinker,活性増強部位をAccessory PartまたはSide Chainなどと呼んでいる。)

 NTN-32692の発見で合成陣は奮い立って合成を進めていたが、その頃ウンカ・ヨコバイに対してニコチニル基の活性、即ちニコチンのピリヂン部位の特異的な活性ではないかとの疑いも少しはあった。ニコチンに比べて6-クロロニコチンはアブラムシに対して10分の1に殺虫力が低下することは文献公知であったが、ウンカ・ヨコバイに対してニコチンとクロロニコチンの殺虫効力は不明であった。そこで合成が容易な下記のニコチン類縁化合物でこの点の検討が行なわれた。


 結果はニトロメチレンイミダゾリジンが活性部位であることが再確認され、迷うことなく決められた方針にしたがって探索研究が進められた。数年後には真の活性基の全貌が明らかになったが、その当時は残念ながらTI-304(ベストガード)の合成までは考えが及ばなかった。

(1)活性増強部位の検討

 1)置換基とその位置
まずニコチニルの置換基の検討では6位でハロゲン原子の殺虫力が高く、クロルで満足できるものであった。


▲置換基と位置の効力順位(利部、1999)


 置換基の種類、位置による殺虫力の変動は大きく、選抜に余り苦労することなく開発候補を決める事が出来た。

 2)ヘテロ環化合物
 活性増強部位は先ずは変化に富む炭素、窒素、酸素、硫黄を含む5員環のヘテロ環化合物の中で最適な化合物を見出す作業が始められた。その結果、活性増強にはヘテロ環の窒素の存在とその位置が重要であり、活性の増減に深く関係することが判明した。置換基はどのヘテロ環でもハロゲンが最も高い活性を示し、塩素で十分であることが明らかになった。これは過去にベンゼン環やクロルニコチニルの置換基で得られた経験から予測していた通りの結果であった。かなりの数のヘテロ環化合物が合成され、殺虫活性を高めるヘテロ環化合物はいくつか見出されていたので特許の出願となった。その中で、圃場での残効性を考慮して選抜すると余り有望なヘテロ環化合物は残こらず、クロロチアゾールメチル基がクロロニコチニル基とほぼ同等の活性を示すことが判った。


特公開 昭和61-183271
出願 昭和60年(1985)2月12日
公開 昭和61年(1986)8月15日

 続いて6員環のヘテロ環化合物が検討されたが殺虫活性も含めてNTN 32692にほぼ匹敵したものは下記の化合物であった。

特公開 昭和61-267561
出願 昭和60年(1985) 5月21日
公開 昭和61年(1986)11月27日


 数年後に各社がこの分野の探索研究を始めたが、三井東圧から3-テトラヒドロフリールメチル基が開発されたのが例外で他はすべてクロロニコチニルかクロロチアゾールメチルであった。これは幸運と見るべきか、NTNの探索研究能力が高かったのか読者の判断にまかせたい。後にバイエル社はクロロニコチニル系殺虫剤と呼称することになる。

(2)接続部位

 接続部位はメチレン(-CH2-)、が最も効力が高く、次いで-CH(CH3)-であり、-CH2CH2-は距離の問題なのかかなり劣った。アセチルコリン受容体との結合のためには自由回転が必要と思われている。

(3)活性基の検討

 1985年には活性基はイミダゾリジンだけでなく、前号に記載したシェル社の活性化合物(II、III、IV、V、VI)およびその5員環のニトロメチレン化合物とアクセサリー部位(例えばクロロニコチニル基やクロロチアゾール基)との結合で活性が増大することが予測されていた。しかしながら高活性化合物の可能性があるとしてもすべてを追求することは合成担当者の人数から不可能であった。そこで以後は戦略的な特許出願を試み、出来る限りの権利確保に努めた。その中で開発候補にあげられていたのは下記の化合物であった。

特公開 昭和61-178982
出願 昭和60年(1985)2月 4日
公開 昭和61年(1986)8月11日

 この剤の殺虫効果は優れたものがあり、殺虫スペクトラムも比較的広かった。圃場での評価試験が続けられていたが、光安定性の問題があり、後にNTN-33894(バリヤード)におき換えられる。

(4)ニトロメチレンからニトロイミノ、シアノイミノへその発見と展開

 当時NTNの研究所で全文を記載した特許公開広報を購読していた。そこで目に留まったのは胃潰瘍の治療薬としてハンガリーの会社から出願されていた下記の特許であった。

特公開 昭和59-196677
出願 1983年 3月16日ハンガリー
公開 昭和59年(1984)11月8日

 そこで、1970年代に始まり十数年も研究開発が続けられていたヒスタミンH2受容体の拮抗剤の特許について殺虫活性記載の有無を調べたが、明瞭なものはみいだせなかった。
 1985年当初はまだ合成予定の化合物は数多くあったが、最優先でニトロイミノの殺虫活性の検討が提案された。合成者は半信半疑であったが、NTN-32692のニトロイミノ、シアノイミノが合成され生物効果が比較された。その結果ニトロメチレンより殺虫スペクトラムはやや狭くなる傾向にあるが、ウンカ・ヨコバイに対する基礎活性には殆ど差がなかった。しかし、シアノメチレンはH2受容体のアゴニストとして活性が劣るがそれと同様に殺虫活性も著しく劣ることが判った。そこでニトロメチレンに替るニトロイミノ、シアノイミノ化合物の合成が直ちに開始された。初めの合成化合物にアドマイヤー(イミダクロプリド;NTN-33893)と後になって開発が始めれたバリヤード( NTN-33894)があった。NTN-33893はスクリーニング終了段階で既にNTN-32692と並んで開発候補にあげられた。

特公開 昭和61-267575
出願 昭和60年(1985) 5月21日
公開 昭和61年(1986)11月27日

 この化合物は野外条件での生物評価試験で残効性、移行性にNTN-32692より優ることが判明した。したがって、散布のみでなく種子処理、育苗箱処理、水面、土壌処理など使用法の可能性が探求された。
 先ずニトロイミノ系の化合物が優先して合成され特許出願されたので、シアノイミノ系化合物の検討は遅れて始められた。このような情況の中でようやくバリヤード(NTN-33894,YRC-2894))の特許が出願された。

特公開 昭和62-207266
出願 昭和61年(1986) 3月7日
公開 昭和62年(1987)9月11日

 この時期ではまだニトロイミノとシアノイミノの化合物間の物理化学、生物的性状の差異、特性が理解出来ていなかった。ただ新規の殺虫活性物質として合成し特許出願を急いでいた。後になって、シアノイミノはニトロメチレンはもとよりニトロイミノよりも光安定性に優れていることが明らかにされた。

(5)活性基(Pharmacophore)の再検討-直鎖(Open Chain)化合物-

 いままで述べてきたように、最初はシェル社の研究成果であったニトロメチレン基をもつヘテロ環化合物を活性基として研究をすすめてきた。またニトロメチレンに替えてニトロイミノ、シアノイミノの環状化合物を活性基としてきた。ところが研究途上で、前号で詳しく述べたのであるが、ヒスタミンH2受容体のアゴニストとアセチルコリン受容体の関連を考えると環状である必要性はなさそうに思えてきた。その両受容体の関係は科学的に全く不明であったが、1986年から殺虫剤として直鎖の検討をはじめた。結果は予想通り殺虫活性基として環状である必要はなく、直鎖で十分な活性が認められた。その最初のNTNの特許が下記に記載されている。

特公開 昭和63-10762
出願 昭和61年(1986) 7月1日
公開 昭和62年(1988)1月18日

 前号で示したシメチヂン(X)の類縁化合物の活性を知る目的で合成されたものであったが、驚いたことにその殺虫力は十分実用に達するものであった。したがって、1987年、1988年にかけて直鎖の活性基で合成をつづけることになった。この頃から他社から追われることになりそうな予感はしていたが、実際は、まだ数年間独走状態を続けることになる。しかしながら、直鎖化合物の中から将来4剤(ベストガード、モスピラン、ダントツ、スタークル)も市販されることになるとは予想出来ないことであった。この様な情況で出願された特許は次の様なものであった。

特公開 平成2-209868
出願 昭和63年(1988)10月21日
公開 平成 2年(1990) 8月21日

特公開 平成2-288859
平成2-288860
出願 昭和63年(1988)11月29日
公開 平成2年(1990)11月28日

 この特許に含まれている化合物(XII)はNI-23, (XIII)はTI-435であることが後に判明する。

6.バイエル社の協力

 ドイツ、バイエル社の殺虫剤合成研究者達には最初からNTN-32692の発見を伝え、1984年はNTNにとって素晴らしい年になるだろうと宣伝していた。バイエル社も世界中でNTN-32692の生物評価試験の優れた結果が得られるにつれてこの新しい殺虫剤の価値を認識し、研究協力を申し入れてきた。
 バイエル社の最初の特許は下記の化合物であった。

特公開 昭和62-292765
出願 1986 年5月30日ドイツ
公開 昭和62年(1987)12月19日

 この特許化合物の合成のアイディアはシェル社の化合物(VII)にあるが、光に対する不安定性が改良されたものであるのか判ってはいない。その後この剤について圃場で評価試験が行なわれたことは聞いていない。どの会社の合成化学者にとってもこの化学構造式に特別魅力があるらしいことは次号で述べる。
 1986年以後、1990年までバイエル社から12件の特許が出願されたが開発候補にあげられた化合物はなかった。

7.他社の研究の始まり

 最初に他社の特許を見つけたのは1988年10月で、チバ・ガイギー社の殺虫剤の用途特許であった。

特公開 昭和63-233903
出願 昭和62年(1987) 2月24日
公開 昭和63年(1988) 9月29日

 NTNとしては1984年に本格的にこの研究をスタートしてから1988年まで約5年間、他社の研究に惑わされることなく王道の研究、極めて効率の良い研究ができたことは実に幸いであった。1984年から1989年までに出願した関連特許数は66件になる。
(アリスタライフサイエンス㈱技術顧問)

参考文献
1.日本衛生動物学会“殺虫剤研究班のしおり”第65号、1996年3月
2.Nicotinoid Insecticides and the Nicotinic Acetylcholine Receptor:Springer-verlag;1999
(以下次号に続く)

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